2.『大好きして』

 命令形で『愛』をお願いしました。(改定後の1回目に)

 『愛』は幼い子どものいわば「水」と「空気」ですから。 無くては生きられませんから

 豊かな『愛』は子どものエネルギー源です。

 

 私たち人間は、一瞥の微笑みで癒され、即元気にもなります。

 一片の言葉で、生きることも、反対に死さえもあります。

 嬉しい言葉に励まされ、ハンディやピンチを乗り越えたり、或いは、一生恨み続けるしまう言葉に苦しめられた忘れられない事実は、どなたにもありましょう。

 

 ましてや幸せを願い続ける優しさと暖かい肌で、心と実感する触覚の具体を多々与え続けられるなら、快感によるリラックスや励まし、支援や癒しによるメンタルエネルギーにこれ以上のモノはないででしょう。

 

 疲れを知らぬ幼時であり、タフな学習意欲は留まりを知りません。

 ラッキーな環境に、笑い泣き学び、積み重ねてはさらに育自します。

 寝転がって泣くだけの無能で絶対依存の幼いヒト(=胎児!)が、長い人生を共感と感謝で強く麗しく生き抜く人間化を可能にします。

 ゆとりあらば、他の不運な仲間に手を差し伸べる人間になります。

 人の脳は何台ものス-パー・コンピュータ以上と言われます。

 それこそまさに奇跡でしょう。

 

 無償の『愛』で育まれるから、たっぷりとリラックスします。

 安らぎこそは脳を活性化し、有能な諸能力が可能です。

 そのエネルギーは湧きあふれ、人間世界に在るを喜び、感謝します。

 35億年の出発からその頂点に至るモノ、その私たちはヒトに、さらに人になり、さらにさらに見えない高度な精神世界で人間になります。

 もちろん、文字さえ知らない…からノーベル賞受賞などまでと大差もあります。

 

 昨今のいじめ問題は、責任ある者が義務を果たさず、大人である自分を第一にするのが主因でしょう。

 人間レベルの『愛』とは言い難く、その成果も厳しいものがあり得るのも又、当然です。

 子どもは安らげねば、リラックス不可では、能力は伸び辛く、真の自己肯定感も乏しく、生きるべき意志も不能でしょう。

 貧しくハンディな人間の資質化は、極論すれば、犯罪…かも?

 

2015年10月01日