1.『愛せ』
幼子は無知無能、不自由です。
絶対依存の存在です。
ゆえにウルトラ知りたがり屋です。
遊びで、「知り」「やって」「学ぶ」ことこそ彼らの願いです。
当然、成長への憧れも強烈で、無事に成人化できそうかと常に不安です。
「安心して自由に、知りトライしてよく学び、食べ、眠れるだろうか?」
遺伝子にあるかのような幼子の不安は、すべて『愛』が解消してくれます。
それどころか、守られ導かれ、励まされる「喜びと快」があり、孤独への怯えもなく、さらにエネルギーは増幅します。
人への信頼と共感は安らぎであり、生き抜く能力がしっかり育ちます。
『愛』と「好き」とは違います。
戦後70余年、なおも続く大変動は、こうした価値観を歪ませました。
あえて過激な言葉を選ぶなら「好き」は自分の要求です。
自分大事の欲望ですから、つまるところは「ストーカー」です。
相手の事を自分が好いているだけで、勝手な思い込みの押し付けも可能なのは当然です。
犯罪の要因にもなり得ます。
『愛』は自分の「好き」よりも、【相手の幸せのため】を第一とします。
『愛』していれば、その【幸せ】を願わざるを得ません。
今も未来も良かれ…と祈らざるを得ません。
そのための努力を惜しまず、協力せずにはいられません。
幼子にハイハイと過保護で良いわけではない…とわかります。
無知無能な時期に「ラク」な生き方に染める恐ろしさ…もわかります。
与えるばかりで哀れな無能育て、それどころか幼時万能感をさえ育ててしまう…とわかります。
物欲第一の生き方に安らぎはありえない…と心から納得できるでしょう。
さらに、多様な人とのふれあいはもちろんのこと、生き抜くプラス能力に加え、マイナス的な忍耐や持続力、努力も育てずにはいられません。
もしかして、ニートも幼育に主因がある…のかも?
例えば、お医者さんになる道も当人の決めることです。
よく考えて、(資料も充分に与えて、話もして)なりたければ、できる限り応援するヨ…は『愛』です。
~「好き すき スキ!」はたっぷりどうぞ!要求や押しつけのない、想いだけの「好き」は、どんなに多くても実害はありません。それどころか幼時は素直に喜んでくれます。自己肯定力を強めます。~
当人でないのに勝手にお子の人生を決めるかのようで、「自分が絶対に正しいから従え」と日常にも暴力まで振るう…のは、ウルトラ貧乏で発展途上中の昔の日本人の生き方?のように思われてなりません。
民主主義の今日では許されない「親ストーカー」かも?
知識量のみ第一や評価の恐ろしさも!
知識も判断も、一瞬先さえイメージできない無能さは、安らぎや体験不足からでしょう!